大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和46年(わ)339号・昭46年(わ)404号・昭46年(わ)980号・昭46年(わ)1069号・昭47年(わ)4号・昭47年(わ)380号・昭47年(わ)1252号

衛生検査員

A

会社員

C

団体職員

D

看護婦

E

栄養士

F

看護婦

G

自営業

B

医師

H

右Aに対する建造物損壊、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、威力業務妨害、不退去、証人威迫、建造物侵入、傷害、住居侵入、右Cに対する建造物損壊、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、威力業務妨害、不退去、傷害、右Dに対する威力業務妨害、建造物侵入、証人威迫、暴行、傷害、右E、F、G、Bに対する各住居侵入、右Hに対する公務執行妨害、傷害、暴行各被告事件について、当裁判所は検察官小浦英俊、西村逸夫出席のうえ審理して次のとおり判決する。

主文

被告人A、同Dをそれぞれ懲役一年六月に、被告人Cを懲役八月に、被告人Hを懲役六月に、被告人E、同F、同G、同Bをそれぞれ罰金二五〇〇円に処する。

この裁判確定の日から、被告人A、同Dに対しいずれも三年間、被告人C、同Hに対しいずれも二年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人E、同F、同G、同Bにおいてその罰金を完納することができないときは、いずれも金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人Aは私立平和台病院労働組合の執行委員長、被告人E、同F、同Gはいずれも右労働組合組合員、被告人C、同D、同B、同Hはいずれも右労働組合が行なっていた労働争議を支援していたものであるが、

第一(一)  被告人Aは

(1) ほか約一〇名と共謀のうえ、昭和四六年三月二〇日深夜から翌二一日未明にかけて、神戸市長田区平和台町一丁目一三の二所在の前記平和台病院待合室において、共同して同所の天井および壁ほぼ一面に「白衣の監獄を解放するぞ」などと記載したビラ約一〇三枚を糊で貼り付けて汚損し、もって同病院院長阿部煥所有の建造物を損壊するとともに、薬局西側および南側の窓ガラス並びに外科診察室窓ガラス(合計二〇枚)一面に前同様のビラ約七〇枚を糊で貼り付けて汚損し、もって数人共同して前記阿部所有の器物を損壊した

(2) 別紙一覧表記載の者らと共謀のうえ、同年七月一三日から同年八月二一日までの間、前同所において、同表記載のとおり計五回にわたり、共同して前記各窓ガラス一面に同表記載のビラ計六五五枚を糊で貼り付けて汚損し、もって数人共同して前記阿部所有の器物を損壊した

(二)  被告人A、同Cは共謀のうえ、

(1) 同年四月六日午後一一時すぎころから約三〇分間にわたり、同病院において、赤または黒ペンキを用い同病院玄関コンクリート土間一杯に「会計課長は団交に出てこい、ヘリクツをこねまわす交渉は認めない、平和台病院斗争勝利!!」と書きなぐって汚損し、もって前記阿部所有の建造物を損壊するとともに、共同して前同様の方法で、薬局西側窓ガラスに「解決するキがあるなら交渉を今すぐにやれ」、同南側窓ガラスに「病院は不当労働行為をやめて解決のための交渉を行え!」、「会計課長は出てこい」など、外科診察室窓ガラス一面に「約束通り団交を行え!」、「会計課長は今すぐ出て来い!!」など、玄関ガラス戸二枚に「要求貫徹!!」、「スト中」など、その南側ガラス面に「院長は団交をやれ」、新館東側窓ガラスに「スト中」とそれぞれ書きなぐって汚損し、もって数人共同して前記阿部所有の器物を損壊した

(2) 同月八日午後九時三〇分ころから約一五分間にわたり、同病院において、共同して前同様の方法で、同病院玄関ガラス戸二枚一面に各「スト中」、その北側ガラス面に「スト決行中」、新館東側窓ガラス三か所に「スト中」、「無期限スト決行中!!」などと書きなぐって汚損し、もって数人共同して前記阿部所有の器物を損壊した。

第二(一)  被告人A、同Cは、同病院側が前日の団体交渉の際警察官を導入したのは不当であるとして、ほか数名と共謀のうえ、昭和四六年四月一五日午前九時すぎころ、同病院外科診察室に入り、同日午前九時三〇分ころまでの間、同診察室において、診察を行なっていた同病院院長阿部煥(当時四六才)に詰めより、こもごも「警察官導入について釈明せよ。」などと大声で申し向け、更に被告人Aにおいて右阿部のえり元をつかんで前後にゆすり、同日午前九時一五分ころ同人から室外へ退去するよう要求されたにもかかわらず同日午前九時三〇分ころまで同室に留まり、同人の診察を不能ならしめ、もって威力を用いて同人の診療業務を妨害するとともに、同人の管理する同室より故なく退去しなかった

(二)  被告人Dは、Cほか六名と共謀のうえ、同年八月一二日午前九時三〇分ころ、同病院待合室に入り、同日午前九時五〇分ころまでの間、同待合室において、隣接の外科診察室で診察を行なっていた前記阿部に対し、同被告人において携帯マイクを使用し、他の者において口々に「院長出てこい。」「共斗委員会は最後まで斗うぞ。」「県警一体の証拠湮滅は許さないぞ。」などと怒号し、同日午前九時四〇分ころ、これらの怒号のため診察を続行することができなくなった結果右待合室に出てきた同人から室外へ退去するよう要求されたにもかかわらず同日午前九時五〇分ころまで同室に留まり、かえって「出ていけとはなんや。」などと怒号して同人に詰めより、更にCにおいて両手で同人の肩を突き飛ばしてその身体を傍にいた患者の岡原武子に突きあてるなどして同待合室および外科診察室を騒然とさせ、同人の診察を不能ならしめ、もって威力を用いて同人の診療業務を妨害するとともに、同人の管理する同待合室より故なく退去しなかった

(三)  被告人A、同Dは、前記阿部が先に労働争議の実体を訴えたビラを付近住民に配付したのは不当であるとして、ほか数名と共謀のうえ、同年九月七日午後七時すぎころ、前記待合室に入り、同日午後七時二四分ころまでの間、同待合室において、隣接の外科診察室で診察を行なっていた前記阿部に対し、被告人Dにおいて携帯マイクを使用し、他の者において口々に「一九項目貫徹」、「病院のデマ宣伝は許さない。」などと怒号し、同日午後七時一五分ころ、これらの怒号のため診察を続行することができなくなった結果右待合室に出てきた同人から室外へ退去するよう要求されたにもかかわらず同日午後七時二四分ころまで同室に留まり、かえって同人をとり囲んで前同様の発言をくり返しながら詰めより更に被告人Aにおいて同人の右大腿部を数回膝で蹴りあるいはその顔面に唾を吐きかけるなどして同待合室および外科診察室を騒然とさせ、同人の診療を不能ならしめ、もって威力を用いて同人の診療業務を妨害するとともに、同人の管理する同待合室より故なく退去しなかった

(四)  被告人A、同C、同Dは、前記阿部が昭和四六年一一月三〇日付で同病院を閉鎖し全従業員を解雇する旨通告したのは不当であるとして、ほか約三〇名と共謀のうえ、同年一一月二九日午前九時一〇分ころ、前記待合室において、折から診療業務のため外科診察室に赴こうとしていた前記阿部の前面に立ちふさがり、執ように団体交渉の開催を要求しつつ、同人を無理矢理に同病院表玄関前に連れ出し体を密着させて二重、三重にとり囲み、脱出不能の状態にしたうえ、同日午前一〇時五分ころまでの間、同所および同病院前道路上などにおいて、同人の足を蹴りつけ、あるいは手指を逆にねじ曲げ、同人のズボン(昭和五一年押第一一四号の27)のバンドを引張って体を締めつけ、もしくは羽交締にするなどの暴行を加えて同人の診療開始を不能ならしめ、もって威力を用いて同人の診療業務を妨害し、その際右暴行により同人に対し加療一〇日間を要する全身打僕、両下肢・両手背挫傷等の傷害を負わせた

第三(一)  被告人Dは

(1) 昭和四五年八月二五日午後五時三〇分ころ、前記平和台病院薬局入口において、同病院院長秘書をしていた川那辺完枝(当時二六才)から室内に入るには所定のノートに住所、氏名を記載するよう要求されたことに憤慨し、同女の右足を蹴り上げてその膝を同室入口の柱に衝突させる暴行を加えた

(2) 昭和四六年三月二七日午前九時三〇分ころ、同病院待合室において、外来患者を看護中の同病院看護婦であった関口文子(当時四〇才)に対し、同女の左上腕部を右手で強くつかむ暴行を加え、よって同女に全治約七日を要する左上腕挫傷兼皮下出血の傷害を負わせた

(3) 同年八月一二日午前九時すぎころ、同病院表玄関前において他の組合員らと集会中、同病院への通院患者高原こてる(当時六六才)が組合員らの中を通りぬけて院内に入ろうとした際、同所において右高原に対し、右肘で同女の左腕部を二、三回突く暴行を加え、よって同女に全治約一週間を要する左上膊打撲傷の傷害を負わせた

(二)  被告人Dは

(1) 同年四月二七日午前八時二〇分すぎころ、同病院待合室において、前記(2)の傷害事件の被害者で事件の捜査、審判に必要な知識を有する前記関口文子に対し、「三日間もよう臭い飯を食わせてくれたな、あんたが病院にいる間つきまとってやる、忘れへんからな。」などと怒号し

(2) 同年五月一日午後五時四五分ころ、同病院外科診察室で勤務中の右関口に対し、その受付窓口から携帯マイクで、「許し難い理由をでっちあげて逮捕させた、関口さんのやったことは絶対に許せない。」などという趣旨を申し向け更に同室扉を開いて「あんただけではない、主人も子供も許さない。」などと申し向け

(3) 同月一五日午前九時一〇分ころ、同病院待合室において被告人Aの前記第一の(一)の威力業務妨害事件の証人であり事件の審判に必要な知識を有する前記高原こてるに対し、けわしい形相で同女をにらみつけながら、「なぜ、ここへ現われたんや、警察へ行ってここへ来るんやったら謝れ。」などと激しく怒号し

(三)  被告人Aは、争議支援者大川公喜と共謀のうえ、昭和四六年五月一一日午後七時ころ、同病院薬局で勤務中の、同被告人の前記第一の(一)の威力業務妨害事件の証人であり事件の審判に必要な知識を有する前記川那辺完枝に対し、薬局受付口において、同所の木製カウンターをたたきながら、「お前警察ででたらめな証言をしやがって。」「覚えておけ。」などと怒号し

同女らにそれぞれ不安困惑の念を生じさせ、もって各証人を威迫した

第四  被告人A、同E、同F、同G、同Bは、同病院が閉鎖されたのち、阿部院長の所在が不明になったところから、同院長の妻阿部美子方に赴いて抗議するとともにその行方を追求しようと企て、ほか約一五名と共謀のうえ、昭和四七年二月二九日午後八時二〇分ころ、阿部美子が居住していた同市兵庫区上三条町三四番地平野マンション敷地内へ、同マンション管理人藤原喜代松がした立入禁止の措置に反してその東側および西側出入口から侵入し、同マンション一階一〇二号室の右阿部美子方前廊下において、口々に「阿部院長出てこい」などと怒号し、あるいは労働歌を高唱するなどして騒ぎたて、右管理人から退去を要求されたにもかかわらず、同日午後八時二八分ころまで同所に留まり、もって他人の看守する邸宅に故なく侵入した

第五  被告人Hは

(一)  昭和四六年一二月二八日前記労働組合主催の、「偽装閉鎖・全員解雇・寮強制退去粉砕、長田署弾圧糾弾」を標榜する集会に伴なう集団示威行進に組合員、支援者ら約六〇名とともに参加したものであるが、同日午後八時四〇分ころ、同市長田区水笠通二丁目七番地長田警察署北側付近道路において、右集団行進が兵庫県公安委員会および所轄長田警察署長の付した許可条件に違反して停滞しかつ道路巾一杯に広がったことから右違法行為を制止する職務に従事中の同署勤務巡査松下幸雄(当時二一才)に対し、所持していたプラカード(昭和五一年押第一一四号の1)で同巡査の右耳から右肩付近を一回殴打する暴行を加え、更に、同様職務に従事中の同署勤務巡査森本悦雄(当時二二才)が両者の間に割って入るや、同人に対し、右プラカードの柄でその右手首部を一回殴打する暴行を加え、もって右両巡査の前記公務の執行を妨害するとともに、その際右暴行により、右松下巡査に対し加療五日間を要する右耳部、側頭部打撲症の傷害を、右森本巡査に対し前同様の加療を要する右腕関節打撲症の傷害をそれぞれ負わせた

(二)  昭和四七年九月一〇日前記労働組合主催の、「偽装閉鎖・全員解雇粉砕、明舞病院再開実力阻止」を標榜する集会に伴なう集団示威行進に組合員、支援者ら約一〇〇名とともに参加したものであるが、同日午後三時三〇分ころ、明石市松ケ丘町一丁目一〇番地付近道路において、右集団行進と併進中の明石警察署勤務巡査岸田洲宏(当時二七才)に対し、「なにしに来たんや、ポリ帰れ」などと怒号しながら、同巡査の右顔面に唾を吐きかける暴行を加えた

ものである。

(証拠の標目)…略

(当裁判所の判断)

被告人らおよび弁護人から、判示各所為の成否につき多数の主張がなされているので、その主たるものについての当裁判所の判断を以下付記する。

第一事実上の主張に関する判断

(一)  判示第一の事実(被告人Aらの建造物損壊等)について

被告人Aが判示第一の(一)記載のとおりビラを貼付し、被告人Aおよび被告人Cが同(二)記載のとおりペンキで文字を書いたこと(以下、併せて「ビラ貼等」という。)自体は同被告人らも争わないところである。弁護人は、右程度のビラ貼等は建造物損壊罪ないし器物損壊罪(暴力行為等処罰ニ関スル法律違反)にいう「損壊」にあたらないと主張するので、以下この点につき検討する。

(1) ビラ貼につて

被告人Aが他の者と共同してビラを貼付した場所は判示のとおり同病院待合室内部の天井、壁および同待合室に面した薬局、外科診察室の各窓ガラスであり、関係証拠によれば、同待合室は病院正面玄関を入ったところに位置し、左側に外科診察室、右側に薬局があって、それぞれ壁、戸、窓ガラス(薬局南側のそれは上下二枚四組、同西側のそれは上下二枚二組、外科診察室のそれは上下二枚四組、その下四枚はすりガラス、その余はすべて透明ガラス)で支切られており、かつ右薬局南側窓ガラスには受付口が設けられて薬品の受渡し患者の受付などがなされていること、同待合室を抜けて奥の内科診察室その他同病院各室へ赴くことができる事実が認められる。してみると、同待合室は病院の表玄関に最も接着した場所であるのみならず、同病院で患者らが最もよく利用する場所といえるわけであって、病院の建物本来が要求される清潔感や明るさ、落着きなどがとりわけ保持されねばならない所であり、また受付口内外の業務が適切に遂行される必要も存する場所である。

関係証拠によれば、被告人Aらは、かような待合室の前記窓ガラスにほぼびっしり(判示第一の(一)の(1)の場合はその天井、壁のほぼ一面にも)、赤、黒などのマジックペンで病院側に対する抗議など判示の文言が手記されあるいは謄写印刷されたワラ半紙程度の大きさのビラ多数を糊で貼付し、しかもこれらは、昭和四六年一月以来連日のごとくなされたビラ貼の一環にすぎず、病院側が早朝、相当程度の時間と労力をかけてこれを剥離するやその夜には再び同様のビラを貼付し、これがくり返される状況下でなされたものであり、また、本件のビラが貼付されることによって、右待合室の美観が著るしく害され患者等に不潔感や不快感を与えたのみならず、窓ガラスがビラで覆われて待合室内部の採光が悪くなったばかりか、薬局窓口においては室内外の見透しがなくなって薬品の受渡しや受付の業務に支障が生ずることとなったと認められるのである。

建造物損壊罪ないし器物損壊罪(暴力行為等処罰ニ関スル法律違反)にいう「損壊」とは建造物ないし器物の物理的毀損のみならずこれらの物の効用を減損させる行為を含むと解されるが、右に認定した、ビラが貼付された場所、ビラの枚数、形状、文言、貼付の態様、その影響、反復性および原状回復の難易などを総合判断すれば、本件のビラ貼行為が、判示各窓ガラスおよび建物の一部である待合室の天井、壁の効用を減損させてこれを損壊したことは明らかというべきである。

(2) ペンキで文字を書いたことについて

関係証拠によれば、被告人A、同Cは、判示のとおり二回にわたり、先に指摘したように清潔感などがとりわけ保持されなければならない待合室の前記各窓ガラスほぼ一面および待合室の土間ほぼ一杯に、また一定の美観が要求される玄関のガラス戸、その両側ガラス面並びにその横脇の新館東側窓ガラスに、判示のような抗議文言等を赤または黒のペンキを刷毛につけて乱雑に大書して(最大のもので一字が四〇平方センチメートル)汚損したこと、しかもペンキによる汚損はシンナー等を用いて素人が除去することは困難であり、結局病院側は専門業者に金二万五〇〇〇円で除去を依頼したがそれでも完全な除去はのぞめなかったことが認められる。

右に認定した、ペンキによる汚損の場所、その程度、態様および原状回復の難易などを総合判断すれば、本件のペンキで文字を書いた行為が判示窓ガラス等や建物の一部である待合室土間の効用を減損させてこれを損壊したというべきこと前同様である。

よって、弁護人の右主張は採用できない。

(二)  判示第二の事実(被告人Aらの威力業務妨害等)について

判示第二の各事実につき、被告人Aらは、おおむね有形力の行使の点を争い、同被告人らの所為が威力業務妨害罪にいう威力にあたらないことまた業務を妨害したものではないと主張する。

しかしながら、前掲各証拠によれば、有形力行使の点を含めいずれも判示事実を認めることができる。すなわち、(証拠判断略)

(三)  判示第三の事実(被告人Dらの暴行、傷害、証人威迫)について

判示第三の各事実につき、被告人Dらはこれを争うが、前掲各証拠によれば、いずれもこれを認めることができる。すなわち、(証拠判断略)

(四)  判示第五の事実(被告人Hの公務執行妨害、暴行)について

(1) 判示第五の(一)の事実について

判示被害者ら関係警察官の前掲各供述によれば、前判示日時、場所において、前判示の職務に従事中の森本巡査が、判示集団行進の一団(以下、「デモ隊」という。)最後尾から一人離れて進行方向に向って右側に出た男を認めこれをデモ隊列に戻そうとしてその背後から腰を押した際、その男がふりむきざまに同様職務に従事中の松下巡査に判示の暴行を加え、更に続けての暴行を阻止しようとして松下巡査の前面に出た森本巡査にも判示の暴行を加えたこと、引続いての逮捕行為の際デモ隊側四、五名の者と森本、松下巡査ら逮捕しようとする警察官との間でその男を引張り合う形になったが同巡査らはその抵抗を排してその男を公務執行妨害の現行犯として逮捕し、結局被告人Hが検挙されるに至ったこと、以上の事実を認めることができる。(証拠判断略)

(2) 判示第五の(二)の事実について

判示被害者ら関係警察官の前掲各供述によれば、前判示日時、場所において、デモ隊を並進規制中の岸田巡査にデモ隊左端にいた男が判示の怒号をしながら唾を吐きかけたので、これを目撃していた大西、中村両巡査がデモ隊の中に逃げこもうとしていた犯人を抵抗を排して現行犯逮捕し、結局被告人Hが検挙されるに至った事実を認めることができる。(証拠判断略)

第二法律上の主張に関する判断

次に、弁護人は、判示第一の各所為(ビラ貼等)判示第二の各所為(威力業務妨害等)および判示第四の所為(住居侵入)はいずれも労働争議上の一手段としてなされたもので、使用者である病院側の不当な争議対策に対応した正当な争議行為であるから、仮に、各所為が各罪の構成要件に該当するとしても、いずれも違法性を阻却する(不退去罪、住居侵入罪については「故なく」の要件を欠く。)と主張するので、この点につき以下検討する。

(一)  本件争議の概要

右主張の当否を判断する前提として、本件争議の発端、経過などの概要を関係証拠により認定すれば、以下のとおりである。

(1) 私立平和台病院は、阿部煥を院長とし、医師に実弟阿部醇ほか一名を加え、事務長に父阿部道貴、会計課長に母阿部繁子を配した個人経営の形態をとる病院であり、従業員としては、正看護婦一名(前記関口文子)、準看護婦および看護学生八名(被告人E、同Gら)、栄養士二名(被告人Fら)、検査員一名(被告人A)、事務職員五名、炊事婦二名、院長秘書二名(前記川那辺ら)が勤務し、右従業員のうち準看護婦、看護学生、栄養士、検査員はいずれも同病院の寮に寄宿していた(昭和四五年七月ころの状況)。

(2) 被告人A、同E、同F、同Gら右従業員はかねてから、同病院の労働条件、待遇などが劣悪なことに不満を抱いていたが、昭和四五年七月二九日夜同被告人らを含む一一名の従業員(いずれも同病院の寮に寄宿していた者)で同病院労働組合を結成し、翌三〇日阿部院長に対し組合の結成通知をするとともに労働条件の改善等を要求して無期限ストライキに入った。

右の事態に驚いた阿部は、組合側の要求をとり上げず、かえって組合員に職務につくことを促がし“反省を求める”趣旨の文書を告示した。

(3) 同組合結成と同時に平和台病院斗争委員会が結成されていたが、同委員会は地域的共同斗争組織に発展し同年八月六日平和台病院共同斗争委員会と改組され(書記長被告人B、被告人C、同Dらも後に同委員会の構成員となる。)、ここに平和台病院労働争議は右斗争委員会の強力な支援を受けて行なわれることとなった。

(4) 前記諸要求を協議するための団体交渉の申入についても、当初阿部は消極的であったが、結局予備折衝をへて同月八日第一回の団体交渉が行なわれ、右諸要求(各種労働条件、待遇の改善、寮自治の確保、貸与金制度の廃止、組合活動の確保など一九項目にまとめられていた。以下「一九項目要求」という。)などが議論され、その後の数回の団体交渉をへて、一九項目要求の一部(光熱費の補助、組合事務所の設置など)につきある程度の合意をみた。なお、同年八月一一日の団体交渉においては、ビラ(ステッカーを含む)の貼付場所を同病院表玄関北側ガラス戸、南玄関ガラス戸、内科と外科待合室境目のガラス戸、二階電話置場西壁面に限定する旨の合意がなされている。

しかし、同月二五日重要項目について全面的解決をはかるべく予定されていた団体交渉は阿部の父の病状が悪化したため中止され、その際診療妨害の理由で警察官が導入された。以後団体交渉は途絶したが、これにつき病院側は組合の一方的な団体交渉の拒否によるもので当方から再開申出をする必要はないと考えて放置していたし、組合側は病院側が右警察官導入につき釈明しない限り団体交渉に誠意なしと解して放置していたものである。

(5) その後同年九月から一〇月にかけては、組合が、神戸地区労働組合共斗会議(以下「地区労」という。)に加盟し、また病院を労働基準法違反で西神戸労働基準監督署に告訴したり(右違反事件は後に同署から検察庁に告発され、阿部に罰金刑が科せられた。)、兵庫県地方労働委員会(以下「地労委」という。)に不当労働行為の救済申立をしあるいは時間外未払賃金請求訴訟を提起するなどいわば戦線が拡大された時期であった。

(6) 同年一〇月初旬には地区労の斡旋などもあり団体交渉再開のきざしはあったが、病院側は組合が前記告訴および救済申立を取下げない限り団体交渉には応じられないとの態度を示していた。結局は同月二七日の地労委団体交渉勧告をへて同月三一日ようやく団体交渉が再開され、同年一二月一五日まで数回にわたり行なわれて、夜間勤務と看護婦増員問題について協定書が作成されたりした。

これまでの団体交渉で、病院側は一九項目要求についてほぼ合意が成立したと解し、組合側は重要問題については未だ未解決だと理解していた。ところが同年一二月一五日の団体交渉の席上阿部が「もうそろそろ反戦の人達と手を切ってまじめな労働運動をやってはどうか」と発言したことに組合側が反撥して、団体交渉は再び途絶した。

(7) 昭和四六年二月一八日団体交渉が再開され(これ以降被告人Bも出席)、その後、数次の途絶を含みながらも、多数回にわたって団体交渉が行なわれ、主として、退職した組合員の退職金問題、寮明渡しの問題などが協議され、同年五月、六月段階のそれは、会計課長の責任の追及、警察官導入に関する抗議、被告人らの逮捕に関する釈明などにも相当な時間がさかれた。なお、寮自治の問題は同年三月一日の団体交渉で覚書が取交わされている。

そして、六月二二日の団体交渉を最後に後記病院閉鎖に至るまで団体交渉が行なわれることはなかった。これは、病院側が、斗争の激化、暴力化により団体交渉の場において身体的危険を感じこの点を組合側が謝罪しない限り団体交渉に応じない、としたためである。

(8) 昭和四六年七月には平井孝二地労委労働者側委員から本件争議解決のための基本案(争議の全面的解決をはかること、労使対等の話合、労使双方の責任追及の放棄、争議戦術の凍結などいわゆる平井五項案)が労使双方に提示されたが病院側はこれを了承せず、同年八月には病院側がトップ交渉の申出をし病院側解決案(貸与金制度の廃止など)を組合に提示したが、これは組合側が拒否し、双方の歩みよりのないままストライキ期間が経過した。この間の同年七月三〇日阿部の自宅などに火炎びんが投げこまれる事件がありその犯人をめぐっての憶測、病院側が付近住民に組合側にストライキを解決する意思がないかの如き印象を与えるビラをまいたことなども両者の交渉を一層困難にさせた。

(9) 昭和四六年九月末から同年一一月末の同病院閉鎖に至るまでの間は、地労委が和解の斡旋に乗り出し、実情調査の形で具体的な解決の途を探った期間であった。そして、その効あってか同年一一月一〇日ころにはいったんは具体的休戦案が成立しそうな情勢にもなったが、予定されていた同月一七日の団体交渉を目前にした同月一六日阿部は前言をひるがえし、団体交渉を拒否するとともに同病院の全面閉鎖を申出た上申書を地労委に提出し、一七日には組合員に病院閉鎖とこれに伴なう解雇を通告した。

組合側は、これに対し偽装閉鎖であるとして撤回を求め重ねて団体交渉の申入れをし、同月二九日地労委も団体交渉の勧告をした。しかし、阿部は同年一二月病院閉鎖を強行し、その後も、団体交渉に応じてもよいとしながらこれを撤回したりし、遂には昭和四七年二月二二日地労委から団体交渉応諾命令が出されたが、これに応じないまま姿を隠していた。

(10) その後阿部は四国、東京の病院などを転々としていたが、昭和五〇年八月ころ神戸へ戻り、組合側との五六回の折衝をへた後ようやく昭和五一年六月一一日同組合との和解が成立した。ここに約六年にわたる本件争議が解決したことになる。

右和解(平和台病院争議和解協定書)の骨子は、前記病院閉鎖、全員解雇等の撤回、病院側が争議責任を認め、組合員は原職に復帰し、病院側は争議解決金(ストライキ期間中の賃金相当分の支払を含む)約六千万円の支払を約することなどであった。

(11) 右争議期間中病院側の対応策の中で問題とされるものとして、次のものがある。

1 争議の初期のころに、組合員(とくに看護学生)の家族に電話するなどし、家族を通じて組合脱退工作を行ない、また組合員への電話の取次の拒否、組合会議などで夜一一時をすぎることがあるがそのような際寮の電源を切ったりして組合活動を妨害しあるいはいやがらせをした(これらについては前記の不当労働行為の申立の理由とされ、昭和四五年一〇月二七日地労委は病院側に対し、不当労働行為と見られるおそれのある行為を慎しむよう勧告した。)。

2 同年九月二〇日ころ、入院患者がいなくなったことを理由に炊事場の使用禁止を言い渡し院内給食にせよとの組合員の要求を拒否して外注食に切りかえ、同年一二月末には炊事場閉鎖を強行した。また、患者給食がなくなったことを理由に栄養士である被告人Fに対し事務職への転職を求め、同人がこれを拒否するや同年一〇月二〇日に至り同人の賃金をカットした(同人は組合員であったがその職種上就労し、その賃金は組合の資金として使用されていた。なお、神戸地裁昭和四六年(ヨ)第六三七号地位保全仮処分申請事件判決において、右Fに対する配置転換命令および賃金カットは効力を生じないと判断された。)。

3 昭和四六年二月から三月にかけて、退職した組合員(村上陽子)の退職金を団体交渉の席で解決することになっていたにもかかわらず会計課長が個人的に解決する形にしてしまったり同人の寮室を強行閉鎖し、また、組合が前記時間外の未払賃金請求訴訟を提起しているにもかかわらず、同課長が元組合員服部春子に働きかけて右事件を取下げ直接病院から右賃金を受領するようすすめたりした。

4 前記病院閉鎖に基づく解雇(前記判決において、右閉鎖は偽装のものであるとの疎明はないが、右解雇は組合活動を嫌悪し、これを壊滅させる意図をも有しており、不当労働行為にあたると判断されている。)。

(12) 右争議期間中組合の争議手段として問題とされるものとして、次のものがある。

1 門前集会および院内抗議活動

門前集会(同病院表玄関において朝八時三〇分から九時三〇分ころまで組合員、前記共同斗争委員会の構成員らが行なっていた集会、後には夜間にも行なわれた。)は昭和四五年八月中旬から前記病院閉鎖まで毎日行なわれていたが、昭和四六年四月中旬以後はこれに引き続き院内抗議活動(前記待合室でマイクを使用し抗議のシュプレヒコールをしあるいは労働歌を高唱したりする。)がなされ、これらは外科診察室内の診療業務等にかなりの支障を与えた(判示第二の(二)、(三)はその例)。また、右集会中診察を受けに来た患者に対し時には他の病院へ行くように説得しあるいはピケットラインを張って妨害した。

2 ビラ貼等

ビラ貼そのものは本件争議発生と同時に行なわれていたが、前記のとおり、昭和四五年八月一一日の団体交渉における合意により貼付場所が四か所に限定され、そのとおり実施されていた。ところが同年一二月末前記のとおり病院側が炊事場の閉鎖を強行したのに対応して組合側は戦術を拡大し、右の限定された場所にとどまらず炊事場周辺までビラを貼付し、昭和四六年に入ってからは前記待合室にまで貼付し、枚数および貼付場所も次第に拡大されて判示第一の(一)記載のとおりの状況となり、病院閉鎖に至るまでほぼ連日のごとく右のような状況が現出した。その間病院側は再三の抗議を申しこむとともにステッカー防止剤を塗ったりしたが、いずれも実効性なく、貼付されたビラを翌朝剥離しその夜には同様のビラが貼付されるという事態のくり返しに推移した。

なお、判示第一の(二)のペンキで文字を書いたことは、ビラ貼の場合と異なり、判示の日の二回のみであるが、その直接の契機は病院側がステッカー防止剤を塗ったことである。

ビラ貼等の態様および病院側に与えた影響(損害)は前認定のとおりである。

3 暴力の行使を含む過激な行為

昭和四六年四月ごろから同年一一月末の病院閉鎖に至るまで、阿部院長自身あるいは病院側の従業員(非組合員)等に対する激しい抗議活動や暴力の行使を含む行為がなされた。判示第二、第三の各所為のほか、阿部に対し、昭和四六年四月一四日団体交渉の席上で組合員が暴行を加え、同年六月三日自宅まで追って来て同人の足をドアにはさんで負傷させ、同月二四日会議室に軟禁して暴行を加え、同年一一月二六日には患者(非組合員の家族)のレントゲンをとる際実力を用いて妨害したりした。また、地労委の審問廷においても、同年七月ころ速記メモの件で紛糾し審問中止になるや組合員らが入口をふさぎ病院側の出席者が監禁状態におかれることがあった。

(二)  本件争議の責任

本件争議の目的は、前判示のとおり、平和台病院における、被告人Aら当時の従業員が置かれていた劣悪な労働条件、待遇の改善、退職の自由の確保など前近代的な労務関係の打破等を目指すものであって正当なものというべきであり、同被告人らが組合を結成し前記目的を達するためにストライキに入ったことは、予告なしであった点はともかくとして、誠にやむをえない行動として裁判所も十分な理解をよせるのにやぶさかではない。一九項目要求に集約された組合側の要求を仔細に検討しても、過大、不当なものを見い出し難い。

かかる正当な、ある意味では当然な要求を掲げた本件争議が、長期化しかつ泥沼化した原因を、前認定の諸事実および関係証拠により認められる一切の関係諸事情に照して考察すると、第一に、阿部院長はじめ病院側が労働組合および本件争議に対し硬直した姿勢をとり続けるなど不相当な対応をしたことを挙げうる。すなわち、本件争議当初の病院側の態度(前項(2)参照)はきわめて高圧的、斗争的であって、阿部らは、労働組合との交渉や争議に不慣れであった点を考慮しても、かかる態度が同様に労使交渉に未熟な組合員を落胆させ病院側への不信感を育て解決を困難にするに至ることを容易に想像しえたはずである。また、団体交渉において「病院側要求事項」を提示したり、交渉が行き詰った段階で提示された病院側解決案(前項(8)参照)の内容なども解決への見通しを誤った独壇(ママ)的な態度の表われと評することができよう。また、前認定の炊事場の強行閉鎖、退職した組合員の寮明渡しの強行(前項(11)の2、3参照)なども、形式的な論理に依拠してはいるが、寮が実際上組合および支援者らの活動場所になっている当時の状況からして、これらが組合側の反撥を買い解決を困難にしたことも見やすい道理である。また、団体交渉の席上における前記の不用意な発言(前項(6)参照)が団体交渉を相当期間途絶させる原因となったことがあるのも前認定のとおりである。第二に、阿部院長はじめ病院側が組合への対応策として不当労働行為ないし不当労働行為と見られるおそれがある行為をし、それが組合側を刺激して紛争を拡大し、あるいは団体交渉の場でその点の抗議に多くの時間を費すことになって本件争議の解決を遅らせたことを指摘しなければならない。病院側の問題とすべき対応は、前認定のとおりであるが、たとえばこの内退職した組合員(村上陽子、服部春子)に関する諸問題は、昭和四六年二月から六月にかけての団体交渉の主たる議題となったわけであるが、病院側は当時、一九項目要求につきほとんど解決ずみであると考え、右のような議題は病院側を非難し本件争議を故意に解決させないためのものと理解していたようであるが、右の認識が正当であったか否かは大いに問題があったといえよう。

また、病院閉鎖の前後における阿部の言動に組合員が不信感をつのらせたこと、閉鎖に基づく解雇が不当労働行為にあたること前認定のとおりであり、閉鎖後阿部が姿をかくしたため本件争議の解決が実に昭和五一年まで持越されるに至ったことも明らかである。

以上のとおり、本件争議が長期化かつ泥沼化した責任の大半は病院側に存するといえるが、これに関し、次の二点もまた指摘しなければならないところである。すなわち、第一は、病院側に前記のとおり不当ないし不相当な対応があったとはいえ、病院側においても基本的には本件争議を団体交渉の場において解決しようとする意思を持ち続け(病院閉鎖前後ころからはともかく)、前認定のとおり相当回数の団体交渉を重ね、いくつかの事項については合意をえるに至った点である。第二に、病院側の右の意思にもかかわらず、これが完遂されず遂には一時放棄されるに至った事情を考察すると、そこには組合側の争議手段として問題とされる諸行動(前項(12)参照)が原因をしているといわざるをえない点である。組合側の激しい―時には暴力の行使を含む―抗議活動等は病院側の前記不当な対応策や交渉のもつれに対応してとられたことは了解できるにしても、それが警察官の導入を招き、それへの抗議と釈明が団体交渉を進展させずあるいはその途絶の原因となったことが再三あったのは前認定のとおりである(前項(4)、(7)参照)。また、阿部の前記病院閉鎖前後からの言動に大きな問題が存し本件争議を長期化させた原因となっていることは前に指摘したとおりであるが、それとても昭和四六年代に入っての阿部への暴力の行使を含む激しい抗議活動(前項(12)の3参照)や争議手段の激化(同1、2)が同人に解決への意欲と病院経営への自信を喪失させたことに帰因していることは明らかである。これらの趣旨において、組合側の行動にも、本件争議を長期化しかつ泥沼化させた原因の一端、換言すれば悪循環の一環を荷った責が存したと言わざるをえないのである。

(三)  争議行為の正当性

以上のような争議の経過、責任を考慮しつつ、以下各争議行為の正当性ないし社会的相当性を検討することとする。

(1) 判示第一の事実(ビラ貼等)について

労働争議における斗争手段としてのビラ貼等が組合員に団結を呼びかけ、一般公衆に争議の存在と組合の要求等を宣伝して組合への支援を訴えることを目的とする情宣活動であるとともに、使用者に対する抗議活動ないし示威運動として、有効な組合活動であることはいうまでもないが、それが企業施設を利用して行なわれ、ひいて本件のように建造物損壊ないし器物損壊(暴力行為等処罰ニ関スル法律違反)にあたる場合には使用者に対し積極的な財産侵害を加えることになるから、なお正当な争議行為として刑事免責を受けうるかどうかについては慎重な配慮を必要とする。結局のところ、ビラ貼等の動機、目的において正当であるかどうか、争議行為としての重要性の有無、その態様ひいてはビラ貼等によって使用者(病院側)がこうむるべき損害と組合側の目的とする利益との比較衡量、使用者(病院側)の争議全般にわたる対応の当不当など諸般の事情を総合検討して社会的相当性の範囲内にとどまるか否かを決しなければならない。

本件ビラ貼等の目的は、前判示の記載文言等から明らかなように、外来の患者など一般公衆に本件争議の存在と組合の要求を宣伝し組合への支援を訴えるとともに病院側に対しその不当な対応に抗議し団体交渉の開催を求めるためのものであって正当である。またその動機は前認定のビラ貼等の経緯に照らし首肯すべきものがある。しかしながら、その態様は、先に詳細に判示したとおり、病院施設の枢要部を相当程度汚損したものであり、またビラ貼等により病院側がこうむった損害も軽微とはいい難い。一方組合側としては団体交渉の場で合意された四か所にビラを貼付することによっても相当程度前記目的を達成することができた(前記のとおり、右四か所には、表玄関ガラス戸、内科診察室と待合室の境目のガラス戸が含まれている)といいうるし、門前集会や住民へのビラの配付等の方法で前記目的をある程度代替することも可能であったし、現にそれらは実施されていたのである。してみると判示のような態様のビラ貼等は本件においてやむをえない不可欠の争議手段とは到底いえないのであって(なかんずく、ペンキで玄関等に大書した行為はそうである。)、これ自体によって組合側がえる利益は、病院側のこうむった損害に比し大とはいえない(ビラ貼等によって病院施設が汚損されることにより病院側が困惑し窮地に落ち入る結果、組合側に有利な状況が生じることは考えられるが、それはビラ貼等による正当な利益ではない。)。これに加えて、先に認定した争議の経過、原因すなわち本件争議全般において病院側に不当ないし不相当な行為がいくつかありそれが本件争議を長期化させた原因ではあるが、団体交渉に全く誠意を欠いたわけではなかったことおよび組合側にも問題とすべき行動がありそれが本件争議長期化の一端を荷っていたことなど諸般の事情を総合考慮すると、本件のビラ貼等は争議行為として社会的相当性の範囲をこえており、その正当性を是認することはできず、違法性は阻却されない。

(2) 判示第二の事実(威力業務妨害等)について

判示第二の(一)の所為は、前記のとおり被告人Aら組合員が前日の団体交渉の際病院側が警察官を導入したことに対し抗議し、釈明を求めたもの、同(二)、(三)の所為は前記門前集会に引き続く院内抗議行動にともなって発生したもの、同(四)の所為は、阿部が前記のとおり病院閉鎖を予告し団体交渉を拒否している段階において、被告人Aら組合員および同C、同Dら支援者が団体交渉の再開を求めるためなしたものであって、いずれも一応は争議行為ないしこれに付随する組合活動ということができよう。ところで、使用者側の企業活動(本件では診療業務)を労務供給義務の集団的不履行によって阻害するのと異なり、積極的に使用者側の自由意思を制圧して侵害するような行為は、たとえそれが争議手段としてなされた場合であっても、原則として正当な争議行為として違法性が阻却されることはないと解される。本件各所為は、阿部院長の診療業務をその自由意思を制圧して侵害したものであることは前認定のとおりである。しかも、その手段たるや前判示のごとくいずれも暴力の行使を含んでおり、この点からしても、正当な争議行為ないし組合活動として免責を受けることはできず(労働組合法一条二項但書)、違法性を阻却するに由ない。そして、これらが違法な所為である以上、要求を受けてこれに従わず待合室等に留まる行為が不退去罪として違法性を具備する(刑法一三〇条にいう「故なく」にあたる。)ことは論をまたない。

(3) 判示第四の事実(平野マンションへの住居侵入)について

本件の経緯は、関係証拠によると、次のとおりである。すなわち、平和台病院が閉鎖された後阿部院長の所在が不明になったところから、被告人A、同E、同F、同G、同Bら組合員および争議支援者らは同院長の行方を探していたが、昭和四七年二月初旬ころ阿部の家族が判示平野マンションに居住していることを突きとめ、同月八日ころから一日おきに夜七時ころ同マンションに押しかけ、多いときで二〇名程度、少ないときで七、八名の者が同所敷地内の阿部美子方戸口付近で約一五分程度シュプレヒコールをし、あるいは労働歌を高唱して騒ぎたてていた。当時団体交渉は途絶していたし、病院の寮の水光熱費の支払等の関係で緊急に阿部と連絡をとる必要が存したのである。しかし、判示第四のころには同所には阿部の妻美子とその子供らが居住しているにすぎないことは判明していた。したがって右行動は阿部と連絡がとれないことをその家族に抗議し、阿部の行先を追求するのが目的であった。本件もその目的、態様等においてほぼ従前のそれと同様である。ただ、同月二六日同マンションの管理人藤原喜代松が東西の出入口に平和台病院労働組合関係者の立入りを禁止した看板を設置していたのにこれを無視して同敷地に入り判示のような所為に及んだ点の差異は存する。

以上の事実を認めることができる。

本件の抗議行動は、当時組合側が置かれていた状況からするとその意図するところは了解できないではないが、その相手方は使用者である阿部の妻美子など家族(同人らは同病院の経営と無関係である。)であることを考慮すると、たとえそれが争議行為ないし組合活動の一環として行なわれたものであっても、直ちに正当なものといえないことはいうまでもない。けだし、争議行為ないし組合活動の正当性の保障を対使用者の家族にまで拡張することは許されず、これらの者の固有の利益(本件では住居の平穏)は労働権と同じく法秩序のうえで尊重されなければならないからである。仮にこの点はしばらくおくとしても、本件侵入の態様は前判示のとおり、多人数で看守者の明示の禁止に反して立入り、同所で騒ぎたて、共同住宅である同マンションの他の住人、付近住民の住居および生活の平穏を害したものであって、しかも前認定のとおり度重なる侵入の一環というのであるから、たとえ一部住民が本件抗議を了としていたとしても、なお社会的相当性の範囲をこえるものというべく、違法性を阻却しない(刑法一三〇条にいう「故なく」にあたる)。

以上の次第で、判示第一、第二および第四につき正当な争議行為であって違法性を欠くとする弁護人の主張は、いずれも採用できない。

(四)  その他の主張に関する判断

被告人らおよび弁護人は、本件各所為につき、以上の主張のほか、可罰的違法性を欠く旨あるいは公訴権の乱用にあたる旨の主張をしているが、いずれも理由がないので採用しない。

すなわち、前者の主張についていえば、本件各所為の動機、目的の正当性の点はさておいても、その態様、生じた結果は前認定のとおりであって、決して軽微とはいいがたいから、本件各所為が可罰的違法性を欠くとは認められず、また、後者の主張についていえば、本件各公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合にあたるとはいえないから、本件各公訴は無効とはいえず公訴棄却すべきものではない。

(法令の適用)

被告人Aの判示第一の(一)の(1)および被告人A、同Cの同(二)の(1)のうち、各建造物損壊の所為はいずれも刑法二六〇条前段、六〇条に、右のうち各共同器物損壊の所為および被告人Aの判示第一の(一)の(2)並びに被告人A、同Cの判示第一の(二)の(2)の所為はいずれも暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二六一条)、昭和四七年法第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項二号(刑法六条、一〇条、以下、判示第五の(二)を除きすべて右のとおり改正前の罰金等臨時措置法を指す。)に、被告人A、同Cの判示第二の(一)、被告人Dの同(二)、被告人A、同Dの同(三)、被告人A、同C、同Dの同(四)の所為のうち、各威力業務妨害の点はいずれも刑法二三四条(二三三条)、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に、右(一)ないし(三)の所為のうち不退去の点はいずれも同法一三〇条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に、右(四)の所為のうち傷害の点は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に、被告人Dの判示第三の(一)の(1)の所為は同法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、同(2)、(3)の所為はいずれも刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人Dの判示第三の(二)および被告人Aの同(三)の各所為はいずれも刑法一〇五条の二、罰金等臨時措置法三条一項一号に(右(三)についてはなお刑法六〇条)、被告人A、同E、同F、同G、同Bの判示第四の所為はいずれも刑法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に、被告人Hの判示第五の(一)の所為のうち、公務執行妨害の点はいずれも同法九五条一項、傷害の点は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、同(二)の所為は刑法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、判示第二、第五の(一)の各所為はいずれも一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として、判示第二の(一)ないし(三)については犯情の重い威力業務妨害罪の刑で、同(四)については重い傷害罪の刑で、判示第五の(一)についてはいずれも重い傷害罪につき定めた懲役刑で処断することとし、判示第一のうち、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の各罪、判示第二ないし第四の各罪(ただし第四については被告人Aに限る)および判示第五の(二)の罪については所定刑中いずれも懲役刑を、判示第四の罪(ただし、被告人Aを除く)についてはいずれも罰金刑を各選択し、被告人A、同C、同D、同Hの以上の各罪はいずれも刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により、被告人A、同C、同Dについては最も重い(被告人Dについては犯情も)判示第二の(四)の罪の刑に、被告人Hについては刑期および犯情の最も重い松下幸雄に対する傷害罪の刑に法定の加重をした刑期および所定金額の範囲内で被告人A、同Dをそれぞれ懲役一年六月に、被告人Cを懲役八月に、被告人Hを懲役六月に、被告人E、同F、同G、同Bをそれぞれ罰金二五〇〇円に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から、被告人A、同Dに対しいずれも三年間、被告人C、同Hに対しいずれも二年間、右各刑の執行を猶予し、被告人E、同F、同G、同Bにおいてその罰金を完納することができないときは、同法一八条によりいずれも金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人らに負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒石利雄 裁判官 石井一正 裁判官 笹野明義)

別紙一覧表

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